音楽・ダンス・エンターテイメント業界とともに人材育成する学校
関根さんがダンスを始めたのは、親の影響が大きいとか。
「はい、母がエアロビをやっていたことに影響を受けて、子どもの頃からダンスやよさこい、さらにはお芝居や歌まで習っていました」
そこからダンスの専門学校に行こうと思ったきっかけは?
「高校がつまらなくなってしまい、辞めようと思った時期があったんです。すると母がネットでこの学校を見つけて、“好きなダンスを続けられるから、どうせなら高校を卒業してここに行けば?”とアドバイスをくれました。私は当時、ダンスが仕事になることすら知らなかったんです。ダンスが毎日できるのならいいな、2年間しっかり学べるなんて幸せだな、と進学しました」
本校で学べたことは?
「一番は、ダンスが仕事になると知れたことです。新たな夢ができたおかげで、この学校での日々も“絶対にダンスで食べていくんだ”という強い信念のもと、学ぶことができました」
「ダンスを仕事にする」という夢が、明確になったんですね。
「私の性格は“ポジティブな根暗”なので(笑)、好きなことを仕事にするためには何をしなければならないのか、在学中から研究していました。夢を現実にするというポジティブな意志と、研究好きな根暗さがうまくマッチしました(笑)」
関根さんは振付師とダンサーの両軸で仕事をしていますが、比率はどうなっていますか?
「24歳まではダンサー7:振付師3くらいでした。ところが25歳になると、一気に逆転しました。ダンサーは表に立つ仕事なので、振付師でも“振り付けをしながら自分も出たい”という人が多いのですが、私は“二兎を追う者は一兎をも得ず”と考え、この年は裏方に徹したのです。“振り付けとダンサーをお願いします”というオファーがあっても、裏方に徹して“こんないい子がいますよ”と本校の学生を紹介していました。そして26歳の今年、比率は5:5になりました」
印象に残っているお仕事は?
「ダンサーとしては、ケツメイシの全国ツアーに帯同して“シモネティーナ”というお姫様役をやったことです。何万人もの前で、ダンスもさることながらお芝居もしたので、思い出深いです。振付師では中国のバーチャルアイドル・洛天依の仕事ですね。特に印象的なのは、中国・湖南TVのカウントダウンライブに洛ちゃんが出演したことです。教え子のダンサーを日本から湖南省へ連れて行き、さらに中国人俳優の馬可さんにも現地でダンスを指導しました。中国のテレビに日本人ダンサーが大々的に出るのは初めてだったらしいのですが、パフォーマンスが大好評で出演する時間がゴールデンタイムへと繰り上がったことも、すごく嬉しい出来事です」
お仕事の依頼はどのような形で?
「知り合い経由と、知らない人からもあります。知らない人からはSNSを通してオファーされることが多いです」
SNSの影響力はありますか?
「ありますね。自分のアピールができますし、情報の入手にも役立ちます。最近はダンサーを紹介する際に、クライアントから“その人のSNSアカウントを教えてください”と言われることが多いんですよ。全てが見えてしまうだけに、“ネガティブなことを書かないようにね”と伝えています」
「ダンスを仕事にしたい」と夢見る人へ、アドバイスを。
「私自身、高校生の時は“ダンスを仕事にしたい”と思っていなかった人なので、“今から夢見ても、遅いかも”なんてことはないと思います。ただ夢を叶えるためにどう動くかが重要なので、“こうなりたい”という目標や人物像を作りましょう。そして“絶対に実現させる”という信念を、ぜひ持ってください」